2014年の考察

第1回「一体化できる都市、東京」
第2回「オリンピックに向けて変貌する都市、東京」
第3回「みんなが集まり、みんなが主役になれる都市、東京」

圧倒的な巨大人口集積を誇る首都圏、東京。世界各都市と比べても、このような都市は非常に珍しいといわれています。その背景を紐解いてみましょう。

歴史の浅さが幸いした?

東京に人が本格的に住むようになったのはいつ頃からでしょうか? 歴史的には、太田道灌や扇谷上杉氏、後北条氏などが江戸を領地としていたという調査も出ているようです。しかし、都市開発という観点でみると、やはり本格的な整備は徳川家康が豊臣秀吉に、関東の開拓の命を受けた1590年がスタートだったと考えるべきです。

徳川家康は、地方の山城を改修するばかりではなく、城下町の建設を積極的に進めました。神田山を削り、日比谷入江を埋め立てて、家臣と町民の家屋敷を配置していきました。今の東京の基本的な都市構造は、この頃から徐々に出来上がっていったのです。

やがて、関ヶ原の戦いに勝利し、家康は征夷大将軍に任じられます。そうすると幕府の本拠地となった江戸には、諸大名の屋敷が設けられ、商人・職人が流入し、江戸は巨大都市へと発展していきました。これは日本の歴史的にみても特異なことです。

それまでの政治・商業の中心地であった大阪や京都、神戸などは、その分歴史があったことで、都市が既に完成していました。しかも、都市を構成する各ブロックでは役割や性格がきめ細かく決められていて、各々が地域性をもったモザイク状の都市となっていました。

関西では、どの街や地方の出身なのか、ということを挨拶がわりに質問しますが、これはモザイク状の都市の名残です。しかも、各々が独自に発展してきた歴史があるために、一体的に発展していこうというコンセンサスを得ることが難しいのです。

しかし、江戸(東京)に関していえば、ほとんど白紙のキャンパスの上に家康のビジョンに従って設計された都市でしたから、このようなモザイク状の都市になることはありませんでした。さらに、関東大震災や東京大空襲などで東京は焼野原になりました。そのような不幸な出来事が、その時代の要請、災害からの教訓を活かした新たな都市政策を進めることができたのです。

歴史の浅い都市であったために、東京、首都圏は、大阪や京都、神戸等、歴史がある関西地方に比較して成長を続けているのです。

立体化で職住近接へと変貌する東京

20世紀、世界共通の都市政策は、田園都市計画でした。田園都市計画とは、産業革命が進んだイギリスで都市に人口が集中したことから、都市の社会・経済的な利点と農村の生活環境が結合した第3の生活を生み出す事による解決を目指そうとしたものです。

ただ、実際はどうだったかというと、東京では、庭付き一戸建てで緑あふれる豊かな生活を夢見て、戦後一生懸命郊外に人が出て行きました。しかし、実際はそうでもなかったのです。片道1時間から2時間をかけて通勤するとなると、朝早く出て夜遅く帰宅することになり、家族と会う時間すらなくなってしまうのです。

しかも、郊外になると、下水や医療等の基盤整備は十分に行き届いていない、行政サービスの過疎状態になっているエリアが非常に多く、それで郊外生活に疲弊してしまったのです。しかし住宅ローンで住宅購入してしまった人達は、どうすることもできなかったのですが、子供達が郊外にそのまま住むのは嫌がっていました。

あるアンケートでは、圧倒的に若い世代が「なんで遠くから通わなくてはならないか」という疑問をもっていました。若い世代にとっては、郊外にいなくてはならないという切迫感がなく、自宅に庭があることも、あまり魅力ではなくなったのです。

しかも、バブル崩壊で地価も下がり、多くのマンションが建設されるようになりました。都心の住環境もかなり洗練化されてきて、住む所も増えてきて、庭がなくたっていいという世代が出てきました。しかも、勤務先から近いし、なおかつ医療レベルが圧倒的に郊外比べると高い。それを知ってしまうと、もう郊外に住む必要がなくなってきたのです。

しかも高層マンションに対する誤解もなくなってきたのです。日本人は、太陽が大好きで、陽が当たらないと畳がかびてしまう、布団が干せないなどといった日照に対する思いがありました。ですから、東京では超高層が嫌われてきたのです。

しかし実際には、超高層マンションが建設されると、ごちゃごちゃした街並みが結構キレイになって、土地の集約化のおかげで周囲は緑になるのです。実際にマンションに住んでみると、みんなベッドで寝るようになり、布団もあまり使わなくなりました。日当たりのために超高層反対というのは合理的でないということが、生活を実体感しながらわかってきたのです。

アベノミクスの影響は?

2013年10月、安倍政権の成長戦略として「国家戦略特区」が指定されました。東京にも9区が指定されていて、今後は12区に増える予定です。この国家戦略特区の動きが本格化していくのはこの秋以降です。

特区構想としては、2011年の民主党政権の時の「国際戦略総合特区」がありました。しかし実際には、あまりうまく機能していなかったのです。その反省から、「国家戦略特区」では、2014年夏までに三者協議会というものを行うことにしました。

三者とは、国と事業をしたい事業者と地元の自治体です。この話し合いを経て国家戦略特区がいよいよ始動するわけなのですが、そのためには相当な規制緩和を行う必要があるのです。これには、様々な関係する団体や組織との摩擦が予想され、中々進捗していないのが現状です。

しかも、2014年9月3日、第2次安倍内閣が成立し「元気で豊かな地方の創生」を掲げました。この背景にあるのは、2015年に予定されている統一地方選挙です。地方への予算が先行され東京を含んだ大都市のダイナミックな開発は、この選挙が終わるまでは、あまり進まなくなるでしょう。しばらくは足踏み状態になると思いますが、その後は本格的に動き出すでしょう。

着々と進む防災対策

2011年3月の東日本大震災では、危機的な事態への備えや対応の難しさを、改めて認識することとなりました。幸いな事に、東京および首都圏では、震度5弱から5強だったこともあって、建物自体はあまり壊れませんでした。

一方で問題となったのが、交通インフラが麻痺したことによる帰宅困難者です。それとともに、困難者を支援する為のライフラインを確保することが、課題として浮き彫りになってきました。

昼間には、近隣から数百万人が東京に通勤しています。彼らを安全に帰宅させるためには、それが確認できるまで、各会社で帰宅させないようにすることが大切です。その対策を、東京都や民間会社が中心になって急ピッチで進めています。

例えば家族同士の安否確認をスムーズにできるようにNTTを始めとした通信回線の容量を上げることや、ライフライン対策として、地震でも壊れないガス管や水道管に入れ替えるための工事を進めています。徐々にではありますが、東日本大震災での経験を着実に活かす取り組みを進めています。

また、私が理事長を拝命している、「特定非営利活動法人日本危機管理士機構」では、社会における危機管理を担う方々を対象とした「危機管理士制度」を制定しました。インフラ面だけではなく、人材面からも、東京では防災対策が進行しています。

巨大な人口集積を誇る首都圏、東京は、歴史的にも、そして住環境的にも一体化がすすみ、しかも、特区構想や防災対策によって老朽化したインフラも新たに整備されていくことで、20世紀の課題を克服し成長してきました。今後も、この成長は続いていくことでしょう。


市川宏雄(いちかわひろお)

明治大学専門職大学院長
公共政策大学院ガバナンス研究科長・教授

1947年、東京生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、同大学院博士課程を経てカナダ政府留学生としてウォータールー大学大学院博士(Ph.D.)。一級建築士。専門は都市政策、都市地域計画、危機管理政策、次世代政策構想。現在、森記念財団都市戦略研究所理事、日本テレワーク学会会長、日本自治体危機管理学会常任理事、日本危機管理士機構理事長など。

主な著書(共著)

『東京五輪で日本はどこまで復活するか』(KADOKAWA/メディアファクトリー)、『リニアが日本を改造する本当の理由』(メディアファクトリー)、『東京の未来戦略―大変貌する世界最大の都市圏』(東洋経済新報社)、『日本の未来をつくる―地方分権のグランドデザイン』(文藝春秋)、『文化としての都市空間』(千倉書房)など多数。

記事一覧

2015年の考察

第1回「課題を克服し、国際都市として進化し続ける、東京」
第2回「オリンピックで生まれ変わる都市、東京」
第3回「“本当の勝負”を乗り越えて——真の国際都市、東京」

2014年の考察

第1回「一体化できる都市、東京」
第2回「オリンピックに向けて変貌する都市、東京」
第3回「みんなが集まり、みんなが主役になれる都市、東京」